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M2M講座 第3回 – 日本のM2M業界の歴史を考察する(1)

みなさんこんにちは。M2M_Masterです。M2M講座の第3回目を掲載いたします。

これまでのM2M講座はこちらからからご覧いただけます。

また前回の講座はこちらです。

 

それでは、前回説明しましたM2Mのサプライチェーンが、どのような歴史的経緯で確立していったかについて、今回から数回にわたって説明していきたいと思います。

1.モバイルアークの時代
日本の通信業界においてM2Mというビジネスが始まったのは、NTTドコモが1999年にモバイルアークというモデム型の通信端末の販売を開始したことからになります。モバイルアークは、RS232Cのインターフェースにて通信機器と接続され、PDC(日本の第二世代の携帯通信の方式)にてNTTドコモの通信サービスが利用できるようになっていました。最初に発売されたモデルの製造メーカは松下通工で、その後、三菱電機や日立国際電気からも同じカテゴリーの通信端末が発売されました。

2.通信キャリアが通信モジュールを販売する時代
その後、M2M用の通信機を独自に開発したいというメーカの需要により、通信キャリアは組み込み用の通信モジュールを販売し始めました。NTTドコモは、DoPaユビキタスモジュールという商品名で、PDC方式に対応した通信モジュールの提供を開始しました。2004年のことです。製造メーカは日立国際電気や富士通です。その後KDDIからもいくつかの通信モジュールが発売され、また現在のソフトバンク(当時の社名はボーダフォン)からも1機種の通信モジュールが発売されました。
これらのモジュールは、通信キャリアから販売されており、当然ながらその通信キャリアのネットワークのみが利用できるような仕様でした。通信キャリアはこれらのモジュールの販売価格にインセンティブを付けることにより実際の製造価格よりも安い価格で通信モジュールを市場に投入しました。この施策により通信モジュールの(見かけ上の)価格が下がることにより、M2Mは国内で大きく普及が進むことになりました。
すなわち、「通信キャリアが通信モジュールを逆ザヤで安価に提供したことにより、M2Mは大きく普及した」ということです。
携帯通信の方式は、第二世代(PDCやCDMA One)から第三世代(WCDMAやCDMA2000)に切り替わりましたが、キャリアが通信モジュールを売るというモデルは第三世代に変わっても継続されました。

ただし、通信キャリアがモジュールを売るというビジネスモデルには、下記のような問題が潜在していました。
[通信料金の高止まり]
・通信キャリアは、インセンティブを出して高く仕入れたモジュールを安価で販売するのですが、これを回収するため通信料金はある程度高く設定する必要があり、通信料金が高止まりする、あるいは、通信キャリアが赤字出してインセンティブを出し続けるという不健全な状態が継続するという事態が発生しました。
[通信機器メーカへのサポート不足]
・通信モジュールは通信機器にとっては「部品」になるのですが、電子機器の部品を販売するということには独自のノウハウやスキルが必要となります。具体的にいうと、通信機器の開発へのサポート、不純物含有やEMC等も含めた品質保証、納品や物流に関する電子部品特有の要求事項への対応、保証期間や供給継続期間の保証などの内容です。通信キャリアには、一般的に電子部品を販売する場合に要求されるスキルや社内体制を持っておらず、これが機器メーカにとってストレスとなっていました。
[国際化の遅れ]
・国内の通信キャリアがこの時期に販売した通信モジュールは、第三世代になっても国際ローミングをサポートしていませんでした。また、通信モジュールメーカは、通信キャリアのみに販売するという事業を行なっていたため、独立した通信モジュールメーカとして活動するために必要となるサポート能力やライセンスの処理能力などを獲得でず、結果として国内の通信キャリアに販路を完全に依存するという形態のビジネスしかできませんでした。このため京セラを除く国内の通信モジュールメーカは海外に進出することができず、これにより、日本のM2M市場は国際マーケットとはまったく違うガラパゴス的な市場となってしまいました。

上記のような問題があるとはいえ、このころ(2004年から2009年くらいまでは)日本のM2Mは通信キャリアが作り出し、通信キャリアが牽引するマーケットとして大きく発展を遂げました。

それではこの時期のM2Mが、なぜ通信キャリアが通信モジュールを売るというモデルとなったか、という点について技術的な背景から要因を検証してみましょう。

国内の携帯通信キャリアのうち、NTTドコモとソフトバンク(当時はボーダフォン)は無線通信の方式として日本独自のPDCという方式を使用していました。PDCの無線通信方式はARIBという団体にて「標準化」はされていた(=NTTドコモとボーダフォンは共通の技術仕様に基づいてネットワークを構築していた)のですが、両者が競争状態にある最先端のサービスを提供するための無線制御の方式は必ずしも標準化されていませんでした。たとえば当時のJフォン(現ソフトバンク)がSkywalkerというメッセージングサービスを開始したときにはNTTドコモはその実現方式についてまったく情報を持っていなかったようですし、iモードを実現するためのパケット通信機能であるDoPaや、Jフォンがステーションというサービス名で導入したセル・ブロードキャスティングなども、標準化よりは差別化を優先して導入されていっていました。すなわち、通信モジュールを開発する際に、通信キャリアから携帯無線の仕様を入手しないと、実際のモノを作れないという実状がありました。
またPDCでは、SIMカードを導入していなかったため、個々の端末に付与される「加入者情報」をあらかじめ通信モジュールに書き込んでおく必要がありました。
このような背景から、通信モジュールメーカが通信キャリアに依存せずにモジュールを開発・販売するということは実質的に不可能であり(これは通信モジュールだけではなく、一般の携帯電話も同じ状況だった)、結果として通信モジュールは通信キャリアが販売するというモデルしか取り得なかったのです。
ではKDDIの状況はどうだったのでしょうか。KDDIが採用していた無線通信の方式であるCDMA Oneは海外でも採用しているキャリアが存在し、海外製でCDMA Oneに対応している通信モジュールもありました。しかし、KDDIは上りの無線周波数と下りの無線周波数を、世界で標準化された使い方とは逆に使っており(そうせざるを得なかった)、そのため海外製のCDMA One方式対応の通信モジュールはKDDI網では動かなかったのです。またCDMA OneもSIMカードは採用しておらず、加入者情報をモジュールに書き込んで提供する必要があったため、結局KDDIも自社専用の通信モジュールを自社が売るというモデルでM2Mに参入せざるを得ませんでした。

一般の携帯電話において、日本独自の通信方式であったPDCから世界共通の通信方式であるWCDMAへの転換が起こったのは2003~2004年ごろでした。通信モジュールに関していうと、NTTドコモがFOMAユビキタスモジュールというWCDMA方式に対応した通信モジュールを2006年から提供開始しました。しかし、WCDMA対応モジュールが発売された時点では、まだ通信モジュールを通信キャリアが売るというビジネスモデル自体は変わりがありませんでした。

次回は、海外メーカの参入により日本のM2Mのビジネスモデルがどのように変わっていったかを解説したいと思います。

次回の講座は、こちらに掲載されました。

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